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ストーリー伊豆市のアクティビティを体験しよう

修善寺紙谷和紙工房 舛田さんに聞く伊豆市の魅力 自然を活かし、なりわいを作っていく暮らしとは

伊豆市の豊かな自然のなかで事業活動するみなさんに【アクティビティ】【文化】【自然】 の観点から、その魅力を伺いご紹介してまいります。

第二回のインタビューは、修善寺紙谷和紙工房の舛田さんにお話をお伺いしました。

この記事の作者

  • 武智一雄

紹介されているスポット

江戸時代には『色好紙』と呼ばれた修善寺紙。舛田さんはその色の再現にも挑戦中。(舛田さん提供)

『修善寺紙?聞いたことないなぁ』という方もいらっしゃるのではないでしょうか。侮るなかれ。

修善寺紙は古くは紫式部日記や平家物語にも登場したと言われ、約1000年前にはすでに存在したそうなのです。

さらに、江戸時代には徳川家康が幕府の御用紙に採用するなどもあり、ここの地名が紙谷と呼ばれているように、地域においての一大産業として栄えていました。

しかし、他の和紙や様々な伝統技術と同じように、明治から大正にかけて、和紙から洋紙への時代の流れのなかで廃れていき、修善寺紙は作られなくなりました。

そんななか、1985年に地元有志の力により工房という形で復活を遂げます。

それから約40年近く経ち、後継者不足が大きな課題となったところで、

2021年9月に伊豆市の地域おこし協力隊として、舛田さんが継承の紙を漉く、ではなく、糸を紡いでいくことになります。

 

落ち着いた語り口調のなかにもしっかりした芯を感じます。

 

Q:早速ですが、舛田さんの経歴がいろいろ気になっていまして。ここに辿り着くまでのお話を伺っても良いですか?

自分は富山県の富山市の出身です。

子供のころからサッカーが大好きでした。

サッカーが大好きすぎて、高校の時にサッカーに関わる仕事がしたいと決意して、大学は理系で工学部を選び、大学院でも摩擦の研究をしました。

自分で言うのもなんですが、目指した通りにうまく行ってくれて、国内のスポーツメーカーに就職でき、

しかも、サッカーのスパイク開発の部署に配属させていただくことができました。

まさに夢に描いていた職に就くことができました。

 

 

Q:今までもいろいろな人の話を聞いてきましたが、ちょっと、いや、かなり順風満帆ですね。 そんな人生設計のなかで、伊豆で紙漉きをすることにはなかなか繋がりにくいのですが、もう少し教えていただけますか?

 

はい。4年間はそこで夢だった仕事に携われました。

夢の仕事に就けたのですが、ある時期から、なんか違うなという気持ち、あんまり幸せを感じなくなってきてしまって・・・

ちょうど、その頃、コロナ禍にも入り、自問自答を繰り返す時間が増えたのですが。

様々な理由というか要因があるなかでも、ひとつ行き着いたのは自分で決定権を持っていないということでした。

そこで、会社に勤めつつも何か自己決定権を持つ活動をしてみようと思い、YouTubeを始めてみました。

でも、そこでも稼ぐためには世間のニーズに答えていく必要もあり、

自分のやりたいことを曲げることはどうなんだろうとか思うようになり、

一度、他の何にも変え難いほど大好きなサッカーから離れて、新たな挑戦をしようと思いました。

 

 

Q:ほほう。そこでなぜ、ここに?

自分で決定権を持って仕事をしたいので、決定権を持てて、広く世界に向けて勝負できるものが伝統工芸なのではと思いました。

もちろん伝統工芸は修行期間の収入も課題ではあります。

そこで、何かないかなと地域おこし協力隊のサイトを見ていたら、伝統工芸に近いものですと、

伊豆市の紙職人と九州の石切職人の募集が出ていて、和紙なら、自分の力でも広げていけるかもしれないと考え、志望しました。

 

良い水とトロロアオイという植物によって生み出される『ねり』。これも和紙には大切な要素。

 

Q:こちらの不勉強で申し訳ないのですが、修善寺紙ってどうなんですか?ブランド力というか、知名度的に。

越前、美濃、土佐が三大和紙と呼ばれています。五大和紙という表現もありますが、残念ながらそこにも修善寺紙は入っていません。

和紙の産地は水が重要です。

水道水だと繊維との相性が悪く、良い紙にはならないのです。水の性質によって紙質も変わるので、産地ごとの特徴は見られます。

技術の継承だけでなく、原材料の栽培にも挑戦する舛田さん。

 

Q:このあたりの水の特徴はいかがでしょう?

このあたりの湧水は水道水と比べると、phは人の身体に近い弱アルカリ性で、硬度は柔らかいですね。

もちろん、それも紙作りにとっても大切な要素です。

ただ、自分が元々富山の出身で、街中至るところでの湧水を汲んで飲むという湧水文化があった場所なので、

そこに比べてしまうと水と生活のつながりに驚くことはなかったのですが、修善寺も水は豊富で綺麗な場所ですね。

 

Q:修善寺ならではの特徴とか優位性とかはありますか?

自分もまだまだ修行の途中ですし、自分の技を磨くことが先決なので、まだ、他の和紙との比較をじっくり研究してはいません。

もともと伊豆には紙作りに必要なコウゾやミツマタが自生していて、

今の時点では原材料は別の地域から取り寄せたものも使っていますが、ミツマタの栽培にも挑戦していて、ここで採れた材料でも紙漉きをしています。

和紙作りにとって重要な湧水。工房にも引かれています。

 

自然の条件は全国各地の紙の産地で似ている部分は多いのすが、今のところ、確実に言えるのは観光的な側面、お客様の利便性から見た優位性ですね。

有名な観光地でもある修善寺温泉からすぐ近くで、比較的、都心にも近い。

首都圏から、新幹線に乗ってくれば、一度の乗り換えで修善寺まで来れて、修善寺駅からここまでのアクセスも大変でもありません。

車で来るにしても、東京からは2時間程度で来れますし、この場所がそんなに山奥でもないので、

観光や体験の一環として広めていくことはやりやすいと考えています。

それって、今の時代の伝統工芸として生き残っていくための重要な素地だと思っています。

観光としての体験だけでなく、伊豆市の小学校では自分で作った和紙が卒業証書になるなど、教育としての活動にも積極的。(舛田さん提供)

 

Q:なるほど〜そういう理由もあり、今回のクラウドファンディングでも駐車場整備を目指していたんですね。目標達成おめでとうございます。たくさんの人に来てもらいやすい、知ってもらいやすい場所であるというのは良いですね。移住者目線でも良いのですが、ここのエリアの魅力って何でしょう?

こじんまりとしているのですが、なんとなく落ち着きます。

行動圏内に必要な自然があるのは好きです。

それと、住んでみてから感じたのですが、私自身の接する人が変わったのかもしれませんが、

修善寺界隈の同世代の人たちと関わっていて、ただお金を稼げば良いと言う考えではなくで、

自分事としていろんなことに挑戦している人が多いですね。

大きすぎないコミュニティでさまざまな人と出会い、刺激がもらえることも、来た後にわかった、ここに来て良かった理由ですね。

自然だけでなく、夢を追う仲間がいることも挑戦を続けられる条件なのかもしれません。(舛田さん提供)

 

 

お話を伺った舛田さんのプロフィール

修善寺紙谷和紙工房 舛田拓人さん

富山県出身。新潟大学大学院卒業後、本人の夢だったサッカー関連のスポーツメーカー勤務。

その後、修善寺の伝統工芸「修善寺紙」の再興と継承のため、伊豆市の地域おこし協力隊として従事。世界へ修善寺紙を広めるべく挑戦を続けている。

詳しいひととなりについてはこちらから

instagram : https://www.instagram.com/shuzenjiwashikobo/

オンラインショップ : https://tacshuwa.base.shop/

 


 

編集後記

伝統技術を復活させようとするなんて、どんな熱血漢が現れるのかと思いきや、

ザ・理系って感じの客観的で冷静な分析とクールな語り口が予想外でした。

でも、話し始めるやいなや、まさに表面の紙一枚をめくられた下には熱い気持ちが隠れている、そんな人でした。

今後のビジネス的な展開も、今の時代、スピードが最重要的な思想が強いなか、修善寺紙の歴史、

あるいは日本の伝統の歴史そのもののように、ゆっくりじっくりと長い時間軸で考えているところが垣間見えて、

『こういう人が上手くやれるのかもしれないな』と感じました。

 

写真・文:武智一雄

伊豆市の隣の伊東市在住のフォトグラファーで海の環境保全を目的とする

一般社団法人サバーソニック&アジロックフェスティバルの提督(代表理事)。

伊豆市には親戚や友人も多く、幼少期から馴染みが深く、好きな場所でした。

また、修善寺を2拠点生活の拠点としていたので、伊豆の内側と外側の両方の視点からインタビューを目指しています。